遥かに見える頂を目指して一歩づつ足を進める。
登山に対する私の考えと目的、感じることを書いてみます。
登山歴は長く、私の人生の歩みと共に常にあった登山。
山に対する考えや、「何のために山に登っているか」ということを聞かれますが、その時置かれていた状況で考えも変化しています。
興味がある方は覗いてみてください。
本格的に始めたのは高校生の登山部
私は登山自体は子供のころから親と登っていましたが、本格的に始めたのは高校生からです。登山部がある珍しい高校で、特に考えもなく気付けば門を叩いていました。
高校の頃の登山はとにかくスパルタ!!先輩は山の猛者であり、小走りで野山を駆け抜ける野人についていくのが精一杯でした。
トレーニングも、ザックにダンベル仕込んで階段ダッシュとかやってましたね。人数は当然少なく、男ばかりのはたから見れば異色な集団でした。
夏山オンリーでしたが、このころは年ごろということもあり、、、、人より辛い状況に身を置いている自分に陶酔していました。
頂上へ着く達成感よりも、俺はこんなことやってるんだぞ!という自賛の感情が私を山へと向かわせていた時期です。
山にあるまじきひねくれ者のようですが、思春期のはけ口は山へと向けられただ己の為に登り、自然とふれあうという感覚を失っていました。
大学生で再び登山サークルへ・・・
高校生の頃のスパルタ登山と決別した私は大学へ。
もう山はやるまい・・・と考えていましたが、やっぱり分かる人には分かるのでしょうか?
「山に登っていそうだ」という判断で、山岳会に突然声をかけられてしまう。躊躇したもののそのまま加入していました。親も驚いてましたね。
ここは人数も多く、現役生で当時20人以上居ました。本格的に山は登るんですが、半数は女性ということもありスパルタ色は皆無。
自分の登山スタイルにも余裕が生まれ、大自然と向き合うという感情を呼び起こしてくれました。
非日常空間における個人の責任と、感動を分かち合える友がいることをこの身に叩きこめたことで、やっと私は「人間」になれたと思いました。
大げさに書いていますが、これ以上の言葉はないでしょう。山というものを通じて得たものは、未だに私の思考の基本となっています。
雄大な山に生き方を正されて、私はいま生きているんです。
社会人になってから現在
登山に対する基本的な考えは大学生の時に形成されました。
社会人となってからも、山は登り続けています。ここで山に対する考えと人生に関する考えが、より具体性を持つようになったと感じています。
社会人ともなれば休みも取れなくて、仕事のストレスを抱え好きな登山も思うようにできなくなりました。
それでもわずかな休みを使い、辛い道のりを越えて頂上に立った時です。視界に入るすべてものに、人工的な物は何もなくどこを見渡しても雲と緑の峰々のみ!
その瞬間あらゆる不安やストレスが無くなりました。
いや、無くなったというより偉大すぎる圧倒的な山のパワーに飲み込まれて見えないほど小さくなってしまったんでしょう。
どれだけ小さなことで苦悩し、嘆いていたのかを思い知らされた瞬間です。物事のすべては自分の思い通りにはいきませんが、あの登山の辛さに比べれば小さいものだと思えるようになったのです。
そして、このサイトのタイトルにもなっているように山に対する私の思い、山登りは人生そのものです!!
初心者のうちは失敗し・躓きます。行動には綿密な計画も必要です。それでも、思わぬ穴や谷があり道を阻みます。
多くの出会いがあり、経験は体に蓄積されます。
試行錯誤していると、思いがけない発見に感動するでしょう!全てを乗り越えて頂きに立った時の達成感は、あらゆる成功体験に勝るでしょう!
遠く目を凝らせばさらに高い山もそびえています。頭で考えずとも、足はそこへ向かいます。終わりなき人生の山登りです。